声優に死す 後悔しない声優の目指し方 関智一
声優 声の職人 森川智之
一度きりの大泉の話 萩尾望都
再生(仮) 緒方恵美

Netflix版僕だけがいない街 実写ドラマの感想

Netflixで僕だけがいない街の実写ドラマが配信されてたので視聴。
Netflixのオリジナル独占らしい。

内容は知ってるので、原作マンガやアニメとの違い重視の感想。

Netflix版僕だけがいない街第1話の感想

僕だけがいない街第1話は、大人の悟が母の死体を発見して子供時代にタイムリープするまで。
原作第1巻まるごとを24分に収めてた。

冒頭で雑誌編集からマンガのダメ出しされるのは同じ。
そして、ピザの配達中にトラックが子供をはねるのをリバイバル(タイムリープ)で回避するのも同じだった。
でもリバイバルの描写は異空間から悟が出てくるみたいな演出だったw
Netflix版僕だけがいない街のリバイバル描写
原作やアニメだと瞬時に悟の周囲が数分前になってた。

自宅に戻るとセミロングの北海道の母が待ってたし、北海道弁も同じ。
原作に雰囲気似てた。
原作のアンジェリーナ・ジョリーみたいな唇は違うけどw
母が子供が行方不明となり死体で発見された事件をふと語るのも。
悟は事件を忘れてたけど、この言葉で雑誌を読んで思い出していた。
原作だと事故って意識不明の時に夢として事件の事を薄らと思い出してる。
もちろんその後、雑誌も読んでる。

廃ビルで小学生が転落するのを助けるのはカット。
これはアニメでもカットされてたっけ。
一応、アイリが悟により惹かれるきっかけなんだけどね。
まあ尺が足りないしね。

ショッピングセンターで誘拐事件が未遂に終わるのは、リバイバルは1回で終わり。
というのも、1回目で母が誘拐犯を目撃し、
バレたと察した犯人が子供の手を離したから。
これもアニメだと1回だったかな。
原作だと1回目は悟が自力で解決失敗。
それで2回目は母に頼って、母は観察力が鋭いので、
周囲にいた誘拐犯に気付いたっていう展開だった。

1人で悟のアパートにいる際に真犯人に刺殺されるのも同じ。
北海道から来たばかりで戸締まりの習慣がないというのが伏線なのも一緒。
母の死体を発見した悟が「上野までは電車一本で行けんだよ」と叫びつつ救命措置を施すのはオリ要素。
気が動転してるって事だろうけど、やっぱり変だね。

第1話は原作第1巻をだいぶ忠実にドラマ化していたと思う。
アニメもこんな感じだったと思うので、
アニメを参考にしたのかもしれない。

Netflix版僕だけがいない街第2話の感想

第2話は悟が子供時代の北海道にタイムリープしてしまった為、
やむなく学校に行って小学校生活をやるハメになるエピソード。
その際に、行方不明となる雛月を助けるのがリバイバルの終了条件だと判断してる。
原作第2巻の中間まで。

原作だと昭和63年に戻ってるけど、このドラマだとその辺は18年前という台詞だけで描写が無かった。
でも町並みとか自宅に置いてる物とかは昭和感があるので、昭和って事は変わらないね。

本来の歴史では行方不明となる雛月にアプローチして仲良くなる際に、
誕生日会の案内状を渡して「雛月には嘘つかないって決めた」と返事するのは同じ。
でも原作やアニメのような「声に出てた」って大人の悟が内心で思うというネタはカット。
まあ要らんと言えば要らんか。
なので、子供の悟は「思わず言ってしまった」のではなく、
ちゃんと伝える意思を持ってこの台詞を言ってる演技になってた。

学校で雛月の誕生日を皆の目の前で聞いてしまい、
皆から色ボケ呼ばわりでからかわれて気まずくなるシーンも、
このドラマの悟は割と堂々としていて照れる様子がなかった。
このシーンは原作にはなかった。

最後に納屋で下着姿で倒れている雛月を発見して悟が動揺するけど、
原作だと、のこのこやって来た雛月母の言い訳を聞いて怒る。
このドラマ版の悟は単に唖然としていた。
まあ原作のような怒り剥き出しの形相は無理だろうね。
この雛月母も原作に似てた。

Netflix版僕だけがいない街第3話の感想

第3話は雛月をミニスキーに連れて行けるよう画策するエピソード。
原作だと連れて行くのは科学館という博物館のような施設。
そういう施設はそう都合良く見つからないので、変えたのかな。
と思ってたら、ちゃんと科学館も登場していた。
原作だとデートの約束をして連れてってたけど、
ドラマ版は放課後に突発的に連れてってた。

矢代先生と雛月の家庭内暴力について話すのだけど、
児童相談所の腰が重いのを「使えねえ」と内心で大人の悟が毒吐いていた。
原作だと「声に出てた」っていうネタだけど、ドラマ版ではなし。
ここまでは、何でこのネタやらないんだろうって思ってた。

雛月が給食費を盗んだ疑いをかけられて孤立しかけ、
悟がそれを煽った美里に切れて怒鳴って沈めるけど、
悟役の子はこういう怒鳴る演技もするんだなあと。
原作でもこの犯人は不明だけど、たぶんそれは矢代先生。
雛月の孤立を狙う動機は十分にあるんだよね。

雛月を郊外の山の大きな木を見に連れて行くのも同じ。
原作では木に雪が被っていて、北海道の田舎なので背景の星空と合わせて雪が月光に反射するようなキレイなシーン。
実写ドラマもこれを再現してた。
僕だけがいない街Netflix第3話星空と木
翌日、雛月に「顔キレイだな」と思わず褒めるのは原作通りだった。
ここで初めて「声出てた」ってネタが出てた。
でも今までやってなかったので、なぜここで?と。
このシーンは「声出てた」をやらないと、
さすがに軟派な印象が過ぎるんですかね。

最後は悟と雛月の誕生日会をやってた。
雛月は俯いていたものの、内心で喜んでいたという演技だった。
原作だと涙目になってお礼を言ってる。
本来の歴史では雛月は誕生日前日に行方不明となってる。
誕生日会をやるっていう名目で、誕生日当日までは生存。
しかし、翌日になると行方不明となってしまう、という引き。
雛月が休んでいるとわかって、悟が呆然としていた。
原作では驚愕の顔になってるけど、こういう演技を実写でやるとオーバーリアクションになっちゃうよね。
ここまでで、原作第2巻最後まで進んでる。

Netflix版僕だけがいない街第4話の感想

第4話は雛月が行方不明となって失意を味わうシーンから、
悟が現代に戻ってきて警察にバレないようアイリの自宅に潜伏するエピソード。

雛月の母が雛月の持ち物を簡単に燃えるゴミに捨ててるのを目撃し、
そのショックで駆け出して現代に戻るのは同じだった。
ここで「2006年に戻ってる」と呟いてたので、やはり年代は同じ。
子供時代は18年前なので、昭和63年というのも同じ。

原作だと初めは店長を頼ってその自宅に潜伏するのだけど、ドラマ版はカット。
いきなりアイリと遭遇してその自宅に厄介になってた。
ここで悟がピザ屋に置き忘れた誘拐事件の雑誌を受け取ってるのはオリ要素。
この雑誌は本来の歴史では第1話のショッピングセンターで受け取っていたという歴史が変化していた。
雑誌の内容も雛月が行方不明となった日付が3月1日から3月3日に変化していた。
この改変は原作やアニメ版よりも面白かった。
歴史改変を端的に説明できるしね。

店長が悟をこっそり尾行してアイリの自宅を突き止め、通報しようとしてた。
そこをアイリが見つけて店長のガラケーを奪う。
原作では更に店長をぶん殴るのだけど、さすがに実写ではそこまではやってない。
でもガラケーをベキッてへし折るのはやってたw

真犯人が自宅にいるアイリを襲撃するシーンは、包丁で襲ってた。
原作は下宿に放火する。
ドラマ版はベランダに逃げて地面に落ちるのを躊躇していたアイリを突き飛ばすだけ。
放火なんて金かかるもんね。

最後は母親が連絡を取ろうとしていた電話番号を思い出して引き。
ここまで原作第3巻の2/3くらい進んでる。

Netflix版僕だけがいない街第5話の感想

第5話は悟が母の同僚の記者と会って、真犯人捜しに協力を求めるエピソードから再びリバイバルして雛月を「誘拐」するまで。
原作のこの記者は顎髭を蓄えているのだけど、ドラマ版でも付け髭だろうけど、立派な顎髭だったw
悟も原作と雰囲気は似てるんだよね、大人時代も子供時代も。
雛月も原作の雰囲気に似てる。
なので、そういう役者を集めたんでしょうね。

病室で目覚めたアイリは刑事の目を盗んで病棟から逃走。
ドラマ版は足を怪我してビッコを引いてた。
原作だとビッコを引く描写ではない。

ガード下でアイリと話すシーンで「罠の可能性を疑ってた」と「声に出てた」というネタをやってた。
ここでアイリは犯人の顔に覚えがあると言い出すけど、
原作だとそれは「西園」だとはっきりと名前を出していた。
ドラマ版では名前はわからず覚えがあるっていうだけ。

悟が逮捕され連行されるシーンで、野次馬の中に真犯人がいるのに気付いたのをきっかけに再リバイバル。
原作だと2月28日に科学館に行った帰りの時点だけど、ドラマ版は2月29日の学校だった。

賢也が悟に本を貸したと嘘をついてカマをかけるけど、
悟はまだ読んでないと返事して嘘がバレてしまう。
これで賢也に悟が何かを隠していると悟られるのだけど、
原作だと賢也は雛月の虐待を知ってて踏み込めなかったと涙目になっていた。
ドラマ版だとさすがにそこまでの演技ではなく、俯いて後悔している程度。
まあ泣きの演技なんて難しいだろうねえ。

悟が雛月の母を階段から突き落とそうとして賢也に止められるのは同じで、
ちゃんと原作通りに使い捨てカメラをスタンガンに改造していた。
これは第4話で、現代に戻った時の雑誌のカメラの広告を見て思いついたという伏線だった。
結局は賢也に止められるのだけど、原作では賢也は悟の代わりに責任を引き受けようと内心で思ってる描写がある。
ドラマ版ではそこまでの説明や台詞はなかった。
原作でも賢也がなぜ自己犠牲を覚悟してるのか説明はないけど、
たぶん悟の方が雛月の問題を最も解決できる能力があると思ってんだよね。
なので悟が途中退場するのはマズいと。
ドラマ版は賢也の内面描写が無いんで、そういう心情が読み取りにくいかも。

誕生日会後、雛月は帰宅せずに廃バスの隠れ家に避難。
その帰りに悟と賢也が雛月を「加代」って呼んだと囃していた。
原作だと加代って呼んだと照れながらも素直に認めてる。
その方が子どもらしいって事なのか。
でも賢也は大人っぽい子なので囃すのはイメージと、
悟は頭の中身がちゃんと大人なんだけど、子供みたいw

一度は帰宅した悟が雛月を心配して廃バスに戻り、
そのまま朝まで体を寄せ合って寝てしまうのだけど、
さすがにドラマ版ではそこはカットされていた。
この辺でもう27~8分だったので尺の問題もあるだろうし、
子役にそういう演技をやらせるのってあんま見ないよね。
あと、悟の母が悟がやってることを何となく察してニヤニヤしてるのもカット。
これはさすがに尺の都合のみかな。

そして最後は廃バスに何者かがやって来て雛月が怯えるところで引き。
誰かが廃バスに入り込んだと察して、怒りまかせにダンボール箱を蹴るのもやってた。
これで原作第4巻中程まで進んだ。

Netflix版僕だけがいない街第6話の感想

第6話は悟が母から弁当を貰ってた。
原作の母は弁当を雛月の為に作ってたとわかる。
それは弁当の底に雛月宛の手紙が入ってたから。
ドラマ版ではそういうネタはカット。
第5話で悟がやってることを察してニヤニヤ笑うのもカットされてたので、
ドラマ版の母は本当に悟が雛月を助けているとは気付いてない感じだった。

雛月が手編みの手袋を悟に渡して悟が泣くシーンは、
ドラマ版は割とガッツリ泣いていた。
原作だと涙がぽつりと零れて本人も「あれ?」って驚く。
これも原作のような演技は難しいよね。

悟が廃バスから逃げて自宅に避難した際に、
悟の母はカレーを大量に作って待っていた。
つまり悟が雛月を含めて友人を連れてくると予想していたんだよね。
なので、母はやっぱり悟がやっていた事を察していた事になる。

雛月は悟の母にカレーを一緒に作るべ、と言われて泣き出すのだけど、
原作だと悟の家に泊まった翌朝、普段とは異なる暖かい朝食を前にして急に泣く。
ドラマ版だと泊まるシーンはカットで、すぐに翌朝になって雛月の自宅に帰宅し、
そこで児童相談所がやって来て雛月を保護し、車に乗せられて別れる。
何か展開が早くてあっさりだった。
原作だと雛月の祖母が来て、土下座して母に謝るシーンもあるけど、カット。
ただの悪い女に見せない配慮だけど、カットされたドラマ版だと「何だこの親?」で終わる印象。

悟は矢代の車に乗って雛月が隠れていた場所を話すのだけど、
和泉小の校舎裏の廃バスの事を教えて、矢代は「良い場所」と返事してしまう。
ただし、悟はこの返事の意味がわかってない。
伏線なのでちゃんと入れてるねえ。
あと、車のダッシュボードに飴を大量に入れてたのも伏線なので、ちゃんと描いていた。

賢也は白鳥さんの家に石を投げ込んだ悟を見てた。
その意味を問いただしていたけど、悟は白鳥さんを守る為にやったと。
それでアリバイ作りの為に警察を呼ばせたと、賢也はすぐに察してた。
更に賢也は隣町で起きている煉炭殺人の話もしていた。
これは原作だと悟が廃バスで見つけた煉炭を思い出して指摘してる。
ドラマ版だと賢也も廃バスの煉炭との関連を疑ってる感じ。

第5話は原作第5巻の1/4くらいまで進んだ。

Netflix版僕だけがいない街第7話の感想

第7話は廃バスに行ってみると煉炭もロープなど道具類も無くなってたというシーンから。
廃バスには大人の足跡があり、一往復していた。
これは矢代に悟が廃バスの話をした直後なんだよねえ。
悟は煉炭などの道具は「奴」が持ち去ったと主張。
この発言の含意を尋ねたのは、原作だと賢也で、ドラマ版だとひろみになってた。
あと原作だと「誰か」という言い方なので、奴という言い方の方が含意が明確。
悟は道具は隣町の児童連続殺人の真犯人の物だと主張。
賢也もひろみもこの話を信じた。

ヒーロー物の主題歌のレコードを白鳥ゆうきから貰ってた。
原作だと自分のだと思ってたという程度だけど、
ドラマ版だと自分で買ったと思ってたと、これも意味が明確になってた。
レコードを聴くシーンではちゃんと歌も流れていたw
わざわざ作ったんだねえ……なんか感心したw
別に悟がヘッドフォンをかけてるだけでも問題ないのに。

中西彩を尾行してる時に「徹底した探偵っぷりだよね」とひろみが言ってたけど、原作だと賢也が言ってる。
この改変はよくわからないけど、ひろみの台詞を増やす為かな。
原作の悟がひろみを送るシーンとかをカットしてるので、ひろみの台詞が少なくなるし。
代わりに原作にはない、中西彩の行動パターンを賢也が報告する台詞が追加されてた。

悟と母が矢代の車に乗って帰宅する際に、
矢代が神経質にハンドルを指トントンするのが無くなってた。
タバコの代償行為としての飴が欠かせなくなったっていう言い訳はフェイクで、
本当は別の理由で内心苛立ってたんだよね。
それは悟が急に結婚の話をし出したから。
あと、飴を食うシーンで母が薄目を開けて2人の様子を見てる。
原作だと「私にもちょうだい」と要求するけどカット。
一応、飴も伏線なので母も知ってないとマズいから、入れたんでしょうね。

中西彩に話しかけるシーンで、アジトを子供っぽいと言われて賢也が文句を言おうとするけど、
原作だと顔真っ赤になって動揺してる。
原作のような演技はさすがに無理なんでしょうね。
あとカズって子が「アジトは男のロマンだ」と宣言するのだけど、
原作だと顔真っ赤になりつつも思い切って勇気を出して言った感じ。
これを受けて中西彩も思わず顔真っ赤というリアクション。
ドラマ版だと何か飄々と言ってるし、中西綾も冷静に返答。
それと、ひろみを見て「男だったの?」と驚くシーンはカット。
まあ、さすがに実写では女の子には見えないかな。

悟が雛月と再会するシーンで、原作だと思わず道路に飛び出てバスに引かれかけるw
ドラマ版はさすがに危なすぎるので、同じ歩道で雛月が待ってただけに改変。
あと授業中に悟が雛月を見てたのを、矢代がチョークを投げて咎めるのはオリ要素。
日本の昭和の小学校の「あるあるネタ」を入れたかったんですかね。

中西彩は悟達のアジトに来てた。
カズは普通に歓迎していた。
原作だと緊張しつつ歓迎してる。
あと、中西彩からスケートが好きと聞いてるのはオリ要素。
このシーンのカズは何か女慣れしてるw

雛月と悟が例の枯れ木を見に行って、
悟はヒーローだと照れつつ褒めるけど、
原作だと片手で雪玉をぶつけていたのを、
ドラマ版では両手の雪玉を投げつけてたw
恐らく、雛月がそれくらい嬉しがってるって意味でしょうね。

悟の自宅で石狩テレビの澤田さんと会うけど、立派な顎髭はなかったw
澤田から児童連続殺人の真犯人を追ってると聞くけど、
原作だと澤田が思う犯人像を詳細に聞いてる。
さすがに台詞の量が多いし、原作のままだと尺の問題がありそうですね。

最後はクラスで孤立してしまった美里を追って、悟もホッケー場へ。
美里が席を外すと、悟は美里を見失ってしまう。
そしてホッケー場の駐車場から白鳥食品のトラックが走り去るのを見る。
そこになぜか都合良く矢代が来て、悟に話しかける。
この都合の良さが怪しすぎるんだよねw
悟は焦っていたせいか、トラックの方を疑い、矢代は疑いから外してしまう。

ここまで第5巻のラスト直前まで進んでる。

Netflix版僕だけがいない街第8話の感想

第8話は矢代に悟が溺死させられるエピソードと、
16年後の現代で賢也と澤田が出会って共闘を持ちかけるまで。

アバンは矢代が自分が真犯人だと自白するシーン。
原作だとかなり色々しゃべってるけど、さすがにドラマ版ではカット。
更に矢代が中学の頃の回想も入ってた。
ただし、ドラマ版の矢代の回想では、頭の上の糸もなく、ハムスターの溺死もカット。
兄が少女に性的イタズラをしてたのと、
少女を殺してしまった工作として、兄を自殺に見せかけて殺したのは原作と同じ。
あと、矢代が大人になってカウンセラー志望の女性と交際していた話もカット。

原作だとこの回想は矢代が悟を溺死させてから。
ドラマ版だと矢代の回想を悟に語って聞かせていた。
でも悟は睡眠薬入りの飲み物を飲んでしまい、寝ていた。
なので、矢代の回想は悟の記憶に残らず、原作とも矛盾しない。
原作だと矢代に反発して罵声を浴びせているけど、
ドラマ版だと寝てるので矢代が一方的に語ってるだけ。

溺死させる方法は車に乗せて川に突っ込ませるという原作と同じ方法だった。
実写映画版だと、橋の上の欄干から突き落としていた。
車を1台おしゃかにしてるんだよね。
Netflix金あるんだねえw
悟が好きなヒーロードラマの主題歌もわざわざ作ってるしね。

後半の1/3は現代に移ってたけど、悟がずっと意識不明のまま16年経過していた。
母が東京で療養する為に選んだ住み処は、
歴史改変前に悟が住んでたアパートと同じに見えた。

大人になった賢也が澤田と出会うシーンはオリ要素。
これに伴って、15年前の北海道で起きていた連続殺人事件の真犯人について話すのもオリ要素。
賢也はこの時点で既に真犯人をわかってたと澤田に言ってる。
しかし証拠がなく、時効を迎えてしまった。
それで雨の中うなだれて「西園まなぶ」の選挙事務所の前に立ち尽くしていた。
澤田もたぶん、同じ気持ちでこの事務所に来てたんだろうね。
恐らくこの日、時効が成立した日だったんじゃないかと。
時効になってない残る事件は、悟の事件だけ。

ここまで、原作第6巻中程まで進んでる。

Netflix版僕だけがいない街第9話の感想

第9話は悟が15年の眠りから目覚めるエピソード。
しかし最後はまた意識を失ってしまう。
この経緯は原作通りで、アニメでも実写映画でも無かった。

悟が目覚めた時、母が原作よりも泣きじゃくってた。
原作だと目覚めると確信してたように、ポロリと泣く。
実写の泣き方だと、やっと報われた感が強い。

悟は事件の記憶を失っていた。
主治医に記憶を聞かれて「僕の笛どこ?」と聞くのだけど、
これは本当の記憶を思い出せないので咄嗟に言っただけ。
ここも原作通り。

悟が自分の顔を鏡で見て「喪失感がある」と思ったのはオリ要素。
原作だと「痩せたなあ」としか思ってない。
意識不明の小学生が15年後に目覚めて自分の顔を疑問にも思わない方が自然かな。

スケッチのシーンも描かれていた。
なぜかプロ並の絵を描けた事で、自分の記憶の空白に強く疑問を抱くきっかけとなるんだよね。

ワンダーガイのマンガを読んでたのはオリ要素。
この小道具もわざわざ作ったのかなw
まあ表紙とかよく見えなかったので、その辺のマンガでもわからないけど。

賢也のファイルを読むシーンも描かれていた。
悟が池で見つかったと改変されていた。
原作やアニメ、実写映画では川。
偶然通りがかった獣医師が救出したのは同じ。
適当なロケ地が見つからなかったんですかね。

病院の庭でクミちゃんと話していた悟をパパラッチが盗撮していた際、
通りがかったアイリがカメラマンをぶん殴るのも描かれていたw
ピザ屋の店長はぶん殴ってないので、カットかなと思ったら……。

最後はアイリと話しているうちに意識が遠のいて倒れるシーンで引き。

原作第7巻の冒頭部分まで進んでる。

Netflix版僕だけがいない街第10話の感想

悟が意識を取り戻してた。
原作だと悟はげっそり痩せているのだけど、
さすがに実写でそこまではできないw
2005年5月になって、倒れてから1年と2ヶ月経ってた。
悟に抱きついて母が泣いてたけど、原作ではこういうシーンは無かった。

それから更に2ヶ月経過し、悟は歩行器の補助で歩けるようになってた。
クミちゃんは白血病手術に成功していた。
既に元気だったけど、診察に来ていた。
ずっと家で休むように言われて、どこかへ行きたいと愚痴ってた。
この愚痴も原作通りで、悟がハイキングに参加するきっかけ。
というのも、クミちゃんって悟が好きなんだよね。

悟は賢也に二重の記憶を話してた。
原作だと母が悟に語って聞かせていた事で「睡眠学習」が起きたと誤解されてる。
当初は悟も睡眠学習説を信じてるけど、後にはっきりと思い出す。
賢也が真犯人の情報を悟に与えないのは原作通り。

悟の回復速度は驚異的だった。
それで松葉杖で外出したいと訴えていた。
主治医は大怪我した陸上選手の実例を話してたけど、
悟はこの選手は機能回復しなかったと思い込んでいた。
でも実は大会で優勝してる。
原作でこのエピソードを入れたのは、御都合主義感を薄める為かな。
なので、実写ドラマでも入れておかないとって判断だろうと。

松葉杖で外出した悟は、道中で潰れた空き缶を見てリバイバル前の記憶を取り戻してた。
そういや第1話で、空き缶が潰れるカットをわざわざ入れてたっけと思い出した。
この描写は実写のオリ要素。

原作だと外出でアイリと再会した時点で一気に記憶が蘇る。
実写ドラマだと再会する前に思い出してる。
しかしすれ違うだけで何も接触しないのは共通。
原作だとアイリに見つからないよう背を向けてやり過ごしてるけど、
実写ドラマだと顔を確認できる距離ですれ違ってるのに、アイリは気付いてないんだよね。
それはリバイバル前のアイリの記憶を全て思い出したから。
悟に関わるとアイリの命が狙われかねないんだよね。

クミちゃんは「さざんかの集い」というリハビリ患者のレクリエーションを悟に勧めてた。
でも悟に直接言わず、悟の母にまずは勧めてた。
たぶんクミちゃんは悟に直接言うのが照れくさかったんでしょうね。
傍にいる悟が惚けていて聞いてなかったので
「悟さん、聞いてなかったの」と不満げだったのは、
母に話せば必然的に悟も聞く事になると期待していたから。

そしてハイキング当日、車で向かうシーンで引き。
ここで澤田そっくりに扮した矢代も別の車で同行していた。
なので初見視点だとたぶん、いかにも澤田も怪しいように見えるんだよね。

ここまで原作第7巻ラストまで描かれていた。
ただし、白鳥ユウキの手紙や、賢也と今後の方針を話すシーンはカットされてる。

Netflix版僕だけがいない街第11話の感想

第11話は「さざんかの集い」の前編。
遠くに富士山が見える湖に集まってた。
原作では架空の湖。
これは良改変かと。

悟の母は唐突に参加者に矢代がいたと主張。
すれ違った際に首をかしげてた。
でも「冗談に決まってるべさ」と誤魔化していた。

原作だとクミちゃんは悟と一緒にスタンプラリーでハイキングコースを回るのだけど、
クミちゃんが「揺れる大地」の謎解きをするのはオリ要素。
原作だと悟が言い当ててる。
クミちゃんの見せ場を作りたかったんでしょうね。
悟が遅いんで優勝できなかったと言ってたのもオリ要素。
原作だと単にコンプリートするだけのレクリエーション。
この台詞は照れ隠しなんですかね。

悟は賢也に携帯で打ち合わせしていた。
ここで悟と賢也との回想。
賢也と今後の方針を話すシーンになってた。
矢代の罠だと承知でチャンスに変えると。
原作通りなのだけど、クミちゃんを危険に晒す事になるんだよねえ。
真相を知ったらクミちゃんショックじゃないかなと思ってしまう。

クミちゃんはリュックに入ってたメモを悟のメモと勘違いしていた。
メモは矢代の罠だった。
また矢代は悟母の携帯を盗んで、母のメールを装ってクミちゃんを誘導しようとしていた。
悟はリバイバル前の記憶から、携帯メールを使う事を予想し、
クミちゃんの携帯をプリペイドの携帯と交換していた。
悟はメモを忍ばせるという原始的な方法には気付いてなかった。
これは原作にない。
原作だと、日程表の花火大会の時刻をすり替えて、クミちゃんを誘導していた。
日程表のすり替えだと、実写ドラマ的にはわかりづらいんでしょうね。
実写ドラマだと母がクミちゃんからメモの事を聞き出して、悟に話していた。

矢代はメモの誘導で孤立したクミちゃんを拉致。
と思いきや、これは澤田だった。
原作だと拉致は成功し、意識の無いクミちゃんは穴の開いたボートに乗せられ溺死しかかってる。
実写の方のクミちゃんは、沈んだ様子になってた。
たぶん矢代のことを澤田から聞いたんじゃないかな。

最後は母の携帯からクミちゃんの携帯にメールが届き、
その内容は「揺れる大地で待ってる」という文章だった。
つまり、矢代はクミちゃんの携帯を悟が見るだろうとわかっていた。
これも実写のオリ要素。
原作だと悟自身の推理で揺れる大地=吊り橋に向かってる。
クミちゃんの拉致に失敗してるので、
悟が吊り橋を推理する手がかりもなくなり、
矢代から挑発する形になってるんでしょうね。

Netflix版僕だけがいない街第12話の感想

冒頭は矢代が罠を仕掛けている途中で、悟が吊り橋に到着。
矢代としては、悟が先に来るとは思わなかったらしいけど、
携帯メールで挑発してるんだから、それは歩く速度の読み違い程度の意味しかない。
原作だと悟がどの程度の時間で推理できるかを読み違えたって含意。
これは原作の方が矢代がクレバーに感じる。
でも子役に溺死しそうになるシーンは出来ないよね。

矢代が悟のタイムループの話を「信じるよ」と返答するシーンは、
原作だと1発目の花火の破裂と洞寺に言ってる。
実写だと何発か破裂してから。
このシーンは本当に打ち上げてるんですかね。
Netflix金あるから、本物の花火だとしてもおかしくない。
なので、1発目の花火と同時に返答するのはタイミングが難しく、
数発破裂してから適当なタイミングでっていう風に変えたのかなと。

矢代が橋を炎上させるけど、原作だとライターを投げただけ。
実写だとリモコンを操作して爆破させていた。
リモコンの方が小爆発で悟がずっこけるのがわかりやすいのかな。
ライターだけだと、なぜ小爆発が起きるのか、疑問がわいてしまう。

悟は矢代にタックルして湖に飛び込んだ。
水面で急に周囲からライトが当たって、悟達は救出された。
周囲にはパトカーのパトランプもたくさん点灯していた。
このパトランプは原作にはなかった。
当然、裏で警察にも協力を要請してたはずなので、おかしくはない。

捕まった矢代は「悟だけが僕を理解してくれた」と供述。
これは原作にはない。
矢代の裁判の判決は死刑となった。

悟は子供の頃の夢である漫画家になってた。
最後に雪宿りの為に高架下で休んでたら、アイリとばったり再会してお終い。
原作通りのラストだった。
原作でも不明だけど、アイリは悟が「15年間意識不明で目覚めたとニュースになった患者だと知ってるのか」は、
実写でも不明な終わり方だった。

全体としては、アニメや実写映画と比べて一番原作に忠実だったんじゃないかな。
配役やら小道具やらロケ地やらを含めて。
もちろん、こっちは原作完結後でじっくり検討できるという優位性はあるけど。
マンガ原作の実写ドラマの割りには、意外に面白かった。

監督のインタビューを見つけたけど、やはり配役は雰囲気が似てる人を選んでたらしい。

“実写化ドラマ”の制作にNetflixが最適な理由とは?『僕だけがいない街』下山天監督が日本との製作姿勢の違いを明かす

今後10年は配信するので色あせない作品を要求されたとか、
その為に4Kで撮り、納品も4Kで、5.1chサウンドだったとか、
日本の芸能界の縛りがないので、自由に役者を選べたとか、
Netflixは芝居や演出には何も言ってこなかったとか、
3話まで興味を惹けるかが勝負と言われていたとか、
廃バスも現地で走ってたのをわざわざ探したとか、
興味深い話がいろいろ載ってた。

3話までにってのは虚淵玄もまどかマギカで言ってたっけ。
10年配信するってのは金があるからこそだよねえ。

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