昭和元禄落語心中第5話は、八雲と与太郎が親子会を開くエピソード。
その高座中に八雲は倒れてしまう。
八雲の居残りを見て以来、与太郎は何かを掴んだらしい。
でも八雲は「我を出せ」と。
その「我」とは何かまではわかってなかった。
与太郎は作家の樋口から貰った色んな音源を聞いて、
何も考えずに空っぽのままやると決めていた。
それで「私の考えが間違ってるのか」と八雲の怒りを買ってたけど、
与太郎が「空っぽのままで落語をやるのが楽しい」と答えると、
八雲には「落語が楽しい」という心境が理解の埒外って感じで、
「好きにしないさい」と折れてた。
この心境は助六の心境にも似てる気がするので、
八雲の内心では助六がオーバーラップしてたのかもしれない。
八雲は与太郎が「観音様の裏手を歩いていた」と言ってたけど、これは売春街の意味?
でも与太郎はそうじゃなく、彫り物を完成させるために通ってただけ。
師匠が前に彫り物を褒めた時からこっそり通ってたんでしょうねえ。
彫り物の事なんてよく知らないけど、
それなりに時間がかかるだろうし。
八雲は親子会でやる「反魂香」で、
本物のお香を焚くよう小夏に頼んでた。
小夏なら焚くタイミングがわかると。
小夏は出囃子担当でかなり緊張してたので、
その緊張をほぐす意図があったんですかねえ。
八雲は小夏の緊張っぷりを見て「ざまあねえや」と悪態をついてたけどねw
この悪態も緊張をほぐす意図があったのかもしれない。
親子会は八雲は既に声に張りが無く、老いを感じさせてた。
たぶんこの物語は八雲が死んで終わりだろうけど、
八雲は高座が終わって直後に倒れていた。
その前から玉のような汗を流して、胸の痛みに耐えてた。
でもその際に煙の中にみよ吉の幻影をみてた。
更に助六の幻影も。
助六は八雲の首に手をかけて「済まねえ」と言ってた。
八雲が死んだかは不明なまま引き。
次回予告では八雲が登場してなかったので、まあ死んでるのかな。
与太郎の様子もそんな感じだった。
でもOPテーマを見るに、火災のように見える背景に向かって歩く八雲とか、
崖から落ちる八雲とかが八雲の最後を暗示しているはずで、
高座中に死ぬのは違う気がする……。
八雲が厭世的で落語と共に心中したがってるわけで、
まだ死ぬのはダメという意味で助六は「済まねえ」と言ったのかもしれない。
昭和元禄落語心中 助六再び篇 TBS(2/03)#05
第5話 八雲のお膳を下げに来たが食べていない。朝から色紙を書いていた。居残りの練習を付けてもらいたい助六。2ヶ月後に歌舞伎座で親子会を開きますよ。先方から求められた有り難…