僕だけがいない街第4話「達成」は、
皮肉な意味を込めているサブタイトルで、
一見、悟視点のようで実は犯人視点。
これで原作第2巻終了。
今回の感想もアニメと原作の違い重視で。
雛月と科学センターに行く下りはやっぱり入れ替えてただけ。
もしかして同じ歴史を繰り返していると、
悟が不安に思うエピソードなので、
カットするわけないよねえ……。
もちろん2人が親しくなるエピソードだし。
科学センターの翌日に雛月と手つなぎで登校するけど、原作通り。
雛月も普通に受け入れているのを不自然に感じたんで改変かと思ったけど、違った。
誕生日パーティで雛月の髪にかかったクラッカーを払うのも原作通りだった。
この改変要素の演出いいなとか思ってたw
雛月に「顔キレイだな」と言ってしまうのは、単に雛月に惚れてということではなく、
科学センターの翌日なのと、いつもなら月曜は殴られて休んでいたはずで、
母に殴られてないか心配してたのかも。
顔キレイ=殴られなかった、と。
あと、母に上手い事誘導されて雛月とのデートをバラしてしまうシーンで、
原作の悟は「うぜえな」と大人が苦虫潰したような表情をしてるけど、
アニメでは普通に照れているだけ。
アニメの方が子どもらしいけど、
原作の方が精神は大人という感じなので、原作の方が好み。
ただまあ、原作の表情だと妙に大人のような表情をすると疑われてもおかしくないw
それと中間の美里が皆の「色ボケ」を腹立つと言ってるけど、
その直前のカットで美里は悟を気にしてるので、
美里は悟が好きというのが明確になってるかと。
原作の美里は悟を見てるのか雛月を見てるのかわかりづらい角度。
そもそも原作の美里は悟が好きだとはっきりわかる描写は無い。
八代がテストの回答に丸を付けるシーンはオリ要素。
「北極グマを先生が食べる」とは、
悟が科学センターで熊の剥製に「俺の友達」と言ってたのも合わせると意味深w
雛月失踪当日に雛月を送った時、
原作では雛月宅は明かりが消えているけど、
アニメでは明かりが点いていた。
また誕生日パーティ後に雛月を送った時は、明かりが消えていた。
この改変は母が在宅か不在かという意味だと思う。
本来の失踪日にユウキ、ケンヤ、雛月母、雛月の愛人が、
それぞれ別の事をしているカットがあったのもオリ要素。
これは真犯人が誰かを示唆してる。
本来の行方不明となる日付3月1日を超えて、雛月が生存。
でも悟と雛月の誕生日パーティをやった翌日に、雛月は失踪。
つまり、単に犯行日時がずれただけ。
真犯人を突き止めるか、真犯人の目を雛月から反らさせないから、
日時がずれるだけの結末になるのは順当かと。
悟は雛月が死ぬのは、夜にひとりぼっちだったのが原因と思い込んでいるけど、
それは行きずりの通り魔の犯行だったらの話かと。
真犯人は実は大分前から雛月加代個人を狙ってるので、
ひとりぼっちにしない=友達になる程度では防げない。
それに今回の場合、雛月は母がいない自宅でひとり夜を過ごしたはず。
明かりが消えていたのは母がいないことと、
雛月失踪には真犯人がいることを仄めかす演出かと。
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