ODDS & ENDS 歌詞考察

ODDS&ENDSの歌詞考察をしてみました。
引用元は
http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/22012.html
です。
なんか童話みたいな印象の曲だと思います。
歌詞の「君」はボカロPのryoさんの自画像にも思えます。

いつだって君は嗤われ者だ 
やることなすことツイてなくて 挙句に雨に降られ
お気にの傘は風で飛んでって
そこのノラはご苦労様と 足を踏んづけてった

「君」が嗤われているのを歌い手(初音ミク)が見ていたのでしょう。
過去形なので、回想していると言えます。

いつもどおり君は嫌われ者だ
なんにもせずとも遠ざけられて 努力をしてみるけど
その理由なんて「なんとなく?」で
君は途方に暮れて悲しんでた

ここも同様に、嫌われている「君」を見ていたのでしょう。
「君」をずっと見ていたと印象づける為に同じようなことを2回言ってるのだと思います。

なら あたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で
なんて耳障り ひどい声だって 言われるけど
きっと君の力になれる だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ

歌い手がずっと「君」のことを見ていながら、ここで初めて声をかけた。
すぐに声をかけなかったのは、「ひどい声」と言われていたので「君」もひどい声と言うかもしれないと自信がなかったから。
ずっと見ていて、やっと思い切って声をかけてみたのでしょう。

綴って 連ねて あたしがその思想(コトバ)を 叫ぶから
描いて 理想を その思いは誰にも 触れさせない

触れさせないとは、思想や理想を描こうとする「君」の本心を隠すという意味に思えます。
なぜ理想を描くのかというと、嗤われ嫌われていた惨めさから逃れる為でしょう。

ガラクタの声はそして響く ありのままを不器用に繋いで
目一杯に 大声を上げる

ここはナレーションみたいなくだりですね。
当然、ガラクタとは歌い手=初音ミクのこと。
「ありのままを不器用に繋いで」とは、ニコニコ動画の初期作品を思わせます。
ニコニコ動画に投稿されているボカロ曲は、今と数年前の曲とでは曲の質が違います。
個人的には手作り感のある昔のボカロ曲の方が好きですが……。
Bメロ

いつからか君は人気者だ
たくさんの人に もてはやされ あたしも鼻が高い
でもいつからか君は変わった
冷たくなって だけど寂しそうだった

このパートからが「現在」の視点に思えます。
前のパートは「回想」じゃないでしょうか。
正確にはここもまだ回想ですが。
人気者となった「君」に冷たくされるようになった視点で回想していたと考えると、Aメロの「いつだって君は嗤われ者だ」がダブルミーニングに取れます。
理由は次のくだりで。

「もう 機械の声なんてたくさんだ 僕は僕自身なんだよ」って
ついに君は抑えきれなくなって あたしを嫌った
君の後ろで誰かが言う 虎の威を借る狐のくせに!って
ねぇ君は 一人で泣いてたんだね

括弧付きのフレーズは「君」が実際に言った言葉でしょう。
人気者となった「君」は、実は「虎の威を借る狐くせに」と「君の後ろ」で嗤われ続けていたのです。
「君の後ろ」とは陰口のことでしょう。
「機械の声なんてたくさんだ」と嫌ったのは、惨めな嫌われ者から人気者へとなれたと思っていたら影で嗤われ続けていたことにショックを受けたから。
そして陰口の原因は機械の声だと、自分に救いの手を差し伸べてくれた「ガラクタ」のせいにしたのです。
Aメロの「いつだって君は嗤われ者だ」の「いつだって」とは、昔も嗤われ今も嗤われていることを言ってるのだと思います。
冷たくされて「君」に責任転嫁され、距離を置いていたであろう「ガラクタ」は、「君」が一人で泣いていたと気づいて「君」に呼びかけます。

聴こえる?この声 あたしがその誹謗(コトバ)を 掻きけすから
わかってる 本当は 君が誰より優しいってことを

「聴こえる?」と尋ねているのは、「君」から離れた境遇で歌っている姿を思わせます。
「君」に冷たくされているので、直接呼びかけられないことから、代わりにどこかで歌うことで「君」を励まそうとしているのでしょう、自分の歌声を「君」が聴いていると信じて。

ガラクタの声はそして歌った 他の誰でもない君のために
軋んでく 限界を超えて

ここもナレーションみたいな印象です。
限界を超えて歌い続けたのは、「君」がそれほどに「ガラクタ」の声を無視し続けたのでしょう。
Cメロ

二人はどんなにたくさんの 言葉を思いついたことだろう
だけど今は 何ひとつ 思いつかなくて だけど なにもかもわかった
「そうか、きっと これは夢だ。永遠に醒めない、君と会えた、そんな夢」

ここもナレーションみたいな視点で、括弧付きは「君」視点。
「ガラクタ」が動かなくなったことを「永遠に醒めない夢」だと現実否認するのは、ガラクタ無しではもう生きていけない、というくらいにガラクタのことを受け入れた心情のように思えます。

ガラクタは幸せそうな表情(かお)をしたまま どれだけ 呼んでも もう動かない
望んだはずの結末に君は泣き叫ぶ 嘘だろ嘘だろ ってそう泣き叫ぶ

「ガラクタ」が幸せそうな顔をしたのは、「君」が最後には「ガラクタ」のことを受け入れたからでしょう。
「望んだはずの結末」とは、「ガラクタ」が動かなくなれば、「ガラクタ」に助けてもらった過去を捨てて、虎の威を借る狐と嗤われることも無くなると思っていたのでしょう。
「君」=ボカロPのryoさんのことなら、ボカロブームが終わることを望んでいたのかもしれません。
Dメロ

「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは 涙に ぽつりぽつりと その頬を濡らす

「僕は無力」とは、虎の威を借る狐である自分を受け入れたのだろうと思います。
涙は「ガラクタの死」への悲しみと「思い上がっていた自分」との決別との両方の気持ちがあると思います。

その時 世界は 途端に その色を 大きく変える
Ah 悲しみ喜び 全てを一人と ひとつは知った

世界の色が変わるとは、自分が周囲を見るときの物の見方が変化したということでしょう。
また世界が「君」「ガラクタ」を見る目が変化したという意味もあるのでしょう。

言葉は歌になりこの世界を 再び駆け巡る君のために
その声に 意思を宿して 今 思いが響く

PVを見ると、一度バラバラになった「ガラクタ」≒初音ミクが復活しているのですが、歌詞だけではわかりません。
歌詞のみで考察すると、「ガラクタ」が残した歌が評価されるようになったと取れます。
「思いが響く」とは、機械の声と蔑まれずにその歌に込められた「思い」を汲み取る人が増えたという意味でしょう。
「言葉は歌になり」とは、歌詞先行で曲をあとからつけているという制作手順を思わせます。
ryoさんの曲はどれも、歌詞のピッチアクセントとメロディの上下とが一致しているように思えます。
これは歌詞先行で曲をあとからつけないと、作りにくいはずです。
故にこの曲はryoさんの自画像・回想録的な曲に思えるのです。

ODDS&ENDS/Sky of Beginning

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